本文へスキップ

浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

〒582-0021 大阪府柏原市国分本町5-6-19

TEL.072-977-3882

浄土真宗とは

今月の法話

2021年12月の法話
  「今日(きょう)である 
        あること難(かた)き 今日(きょう)である」
          (2021年 真宗教団連合「法語カレンダー」12月のことば)
 今月の法語は真宗大谷派の学僧、藤代聰麿(ふじしろとしまろ)先生(1911〜1993)の言葉です。
 先生のことは、私は全く存じ上げませんでしたので、インターネットで、調べさせて頂きましたら、以下のように示されていました。
  1911(明治44)年 福岡県田川郡 真宗大谷派伯林寺で生まれる
  1935(昭和10)年 大谷大学卒業
  1938(昭和13)年〜41(昭和16)年 兵役で中国に赴任
  1949(昭和24)年 曽我量深(そがりょうじん)師の随行となる
  1966(昭和41)年 佛教大学講師となる
  1971(昭和46)年 曽我量深師逝去 九州八女に移住
  1979(昭和54)年 九州鸞音会発足
  1993(平成5)年4月13日逝去
※「鸞音」の意味がよくわかりません。曽我先生の年回法要を「鸞音忌と大谷派では呼ばれていることまではわかったのですが……。

 藤代先生は絵が上手で、絵を描いて暮らしを立てていこうかと考えられた時もあったようですが、先生の一生を変えたのは、戦争体験と大谷派屈指の学僧である曽我量深(そがりょうじん)師との出遇いであったようです。

 その先生が残された法語の中で最も有名なのが、
     「これまでが これからを 決める」 のではない。
     「これからが これまでを決めるのだ」
という言葉だそうです。
 藤代先生のことを検索をしておりましたら、島根県の温泉津にある西楽寺様というお寺のホームページに出会いました。
 そこにこの言葉について解説してくださっていました。とても分かりやすいので一部掲載させて頂きます。

  通常は、「これまでが、これからを決める」と考えます。過去・現在・未来という時間の 流れからもそう思います。
  実際のところ、「これまで」のことと無関係な「今」も「これから」もあり得ませんし、 「これまで」のことは、決して変えることも消すこともできません。だけど「これからが、 これまでを決める」のです。
  「これから(の生き方)が、これまで(の意味)を決める」と言葉を添えると、味わいやすく なります。…(中略)…
  「これからが これまでを決める」とは、失敗したことも、思い通りにいかなかったことも  みんな無駄ではなかった、自分には必要なことだったと「これまで」(過去)に意味を見出 し、引き受けていくことでしょう。
  変えることも、消すこともできない「これまで」(過去)は、「これから」の生き方次第 で、その意味が大きく変わるわけです。……

 全文を引用したいところですがスペースの都合でここまでにさせて頂きます。この文章に続いて、必ず死んでいく私たちが、「死んだらおしまい」と思っていたら、生きてきた人生が、全く空しいものになると示され、仏さまの世界に生まれさせて頂くと受け取ることで「これから」が定まり、これまでの人生が全く無駄ではなかったという人生そのものの意味が見いだせると示されています。
 
 このようなお示しをいただいて、今月の言葉を聞かせて頂きますと、今ここにいる自分自身が、今ここに生きているということの意味を教えられていると思うのです。
 私が今日を迎えることができるということを考えてみますと、私がこの世に生まれさせて頂き、今日まで生きてこれるようにお育てを頂いたことはまちがいのないことです。
 どれほどの数限りないご縁を頂いてきたことでしょうか。全く想像もつきません。命を頂くということ自体が難しいのです。その有り難い命が、今日という日を迎えることができたのはより一層有り難いことなのであることを示してくださった今月の言葉です。
 一人ひとりが、有り難い命を恵まれ育まれ、阿弥陀さまのおはたらきによって、仏となる尊いいのちを生きていると教えてくださるお言葉であります。
                                    南無阿弥陀仏