(2022年 真宗教団連合「法語カレンダー」表紙・1月のことば)
あけましておめでとうございます。
今年も真宗教団連合から出されていますカレンダーの「毎月の法語」をご縁に月々の法話を書かせて頂きたいと思います。
法語カレンダーの裏面には真宗教団連合の法語カレンダーについての説明文があります。
そこに2022年のカレンダーのテーマは昨年に引き続き「親鸞聖人に遇う」であると示されています。親鸞聖人の教えにふれた先達のお言葉を通して、あらためて宗祖に出遇って頂きたいと願い13点の法語を選定されたと書かれています。
親鸞聖人の著わされた『一念多念証文』には次のように示されています。
『「至心回向」といふは「至心」は真実という言葉なり、真実は 阿弥陀如来の御こころ なり。「回向」は本願の名号をもって十方の衆生にあたへたまふ御のりなり。』
【浄土真宗聖典(註釈版)より】
≪「至心回向」というのは、「至心」とは、真実という意味の言葉であり、その真実とは阿
弥陀如来のお心のことである。「回向」とは、真実の徳をそなえた本願の名号を、あらゆる 世界の命あるものにお与えになるというお言葉である。≫
【『一念多念証文(現代語版)』より】
さて、『広辞苑』には、「まこと」ということについて、@事実の通りであること。うそでないこと。真実。ほんとう。A偽り飾らぬ情。人に対して親切にして欺かぬこと。誠意。と示されてあります。
確かに「まこと」という言葉に対する私たちが持っているイメージはそういうものであろうと思います。
上の『一念多念証文』の言葉と『広辞苑』の示しを合わせて考えてみますと、阿弥陀さまは私たちのことをそのまま見通し、常に思い続けはたらき続けてくださっている方であることを親鸞さま教えてくださいます。それに対して、私たち自身のありようは、『歎異抄』の後書きに次のように示されます。
「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」【浄土真宗聖典(註釈版)より】
と、厳しいお言葉ですが、その通りなのです。
さて今年のカレンダーの表紙の法語は
「念仏は まことなき人生の まことを 見せしむる光」です。
大谷派の学僧、正親含英(おおぎがんえい)先生の言葉です。
自分自身に「まこと」と呼べるものがないと知らされていく世界、はっきり言って、つらいことですね。しかし、まことがないからこそ苦しみ悩んでいくのだということだと思います。 そんな私たち一人ひとりを放っておくことはできないとはたらいてくださるのが阿弥陀さまなのです。そのはたきが「南無阿弥陀仏(お念仏)」となって私に届いてくださっているのです。お念仏のはたらきで私を知らされ、私のゆく道を示してくださる。それが光という言葉で表現されていると味あわせて頂きます。
そして1月の法語は
「きょうもまた 光り輝く み仏の お顔おがみて うれしなつかし」
稲垣瑞劔(いながきずいけん)先生の言葉です。
私なりの思いですが、1月の言葉は、日々、阿弥陀さまに手を合わせることができることの喜びの心をそのまま表してくださったのだと思います。煩悩具足の凡夫が、そのままで救われていく、私からでなく阿弥陀さまから私に向かってはたらき続けてくださっている。その思いその喜びが、生きていく大な力となってくださっていると感じ取れる世界が、穏やかなお言葉の中に、開かれてあるのではないでしょうか。
南無阿弥陀仏