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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

〒582-0021 大阪府柏原市国分本町5-6-19

TEL.072-977-3882

浄土真宗とは

今月の法話

2022年5月の法話
 「失ったものを 数える人あり 
             与えられたものに 感謝する人あり」
          (2022年 真宗教団連合「法語カレンダー」5月のことば)
 今月の法語は、堺市の覚円寺の住職で本願寺派の布教使として大いに活躍されていた豊島学由先生の言葉です。
 今から52・3年前、私が中学3年生の頃に、先生と初めてお出会いさせて頂いたように記憶しております。当寺の法要のお説教にお見えくださったことでした。
 その当時、中学校の社会科の授業を担当されていた、非常にお話し好きであったI先生が、「他力本願では駄目だと思う。自力で道を切り開いてこそ生きている価値がある」というようなお話をよくされていました。そういう影響もあったのでしょうか。私は母に「うちは他力本願やからあかん!」と何度か口にしておりました。その時、母が「今度お話に来てくださる先生に他力本願がホンマにあかんのか聞いてみたらええわ」と、言ったのです。その時のご講師が豊島先生でした。
 先生は気さくな方で、自分は座敷でじっとしているより、お寺の皆さんと話がしたいと庫裡の居間に来られて一緒にテレビを見ながら色々話してくださったことを思い出します。(話の内容は何も覚えておりません。他力本願ということについても自分が尋ねたかどうかも記憶にありませんが)
 ただ、その時のお説教で、一つだけ先生が言われたことを覚えています。それは「南無阿弥陀仏の教えはわからんでも、念仏を称えて、お仏壇のお世話をする。まずは形(カタチ)から入りましょう」ということです。
 そのお話を聞いたとき「おかしい」と思いました。何のためにするのかわからずに、どういう結果が生まれるかもわからずに、形だけ恰好だけしても意味ないと思ったからです。
 例えば、「念仏しなさい」とだけ言われて念仏を称えても、念仏称えることが何になるのか何のためにするのかわからなかったら、念仏する意味がないという思いがあります。ちゃんと意味が解って自分で納得してから念仏を称え、お仏壇のお世話をするというのが本当だろうと思ったからです。
 「自分で納得して理解して…」という物事を深く追及する姿勢は誠に大切なことであると思います。しかしながら、その「自分」という存在そのものは、一体何者なのでしょうか。
 自分という存在を深く問題視するのが仏教です。その中でも殊に厳しく自己を見つめられた方のお一人が親鸞聖人だったのではないでしょうか。
 親鸞さまは、私たち人間(凡夫)のことを「煩悩成就の凡夫(=あらゆる煩悩を欠くことなくそなえていること)」という表現を何度もされたり、「凡夫というは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず…」(『一念多念証文』)と、お示しになられています。それは、人間ということよりも親鸞さまご自身のことを申されているようです。
 このような私たち凡夫の在り様をすべて見通され分かり通して、私たちに本当の安心を与えようと願いを建ててくださったのが阿弥陀如来さまです。そのおはたらきが「南無阿弥陀仏」という言葉(音)となって、私たち凡夫に与えられています。ですから私たちの称える「南無阿弥陀仏」そのものが、阿弥陀さまなのです。
 そういたしますと、形だけでも称える念仏であっても、念仏は阿弥陀さまであるということです。いつどうなるかわからぬ命をかかえ生きている私たち、煩悩に振り回されて生きている私たち、自分自身があて頼りにならない私たち、そんな私たちに、せめて形だけでも念仏を称えましょう。念仏を称えることそのものに大切な意味があったのです。そのことを豊島先生がお伝えくださっていたのでした。
 お念仏は、阿弥陀さまから「阿弥陀がここにいます。怖がらなくていいですよ」のよび声であり、私の方からは「有難うございます」のお礼の言葉です。阿弥陀さまのすべての徳を南無阿弥陀仏におさめ入れ私に与えてくださっています。そのはたらきに南無阿弥陀仏とお礼を申し上げるのです。
 さて、今月の法語で語られるのは2種類の人間の姿のように読み取れるのです(愚痴の多い人と他人や物に感謝の心を持つ人)が、私は両方とも持っているのが自分であるような思いがします。しかし、言ってもどうにもならない愚痴ばかり言うことよりも、与えられたことに感謝して生きていくことを大切にして生きていく尊さを教えてくださっている言葉であると思います。
 どれほどのものを頂いて私はここまで来させていただいたのでしょうか。その数を数え上げることなど到底できません。そんな大きな恩恵を頂戴している私です。今月の言葉は私を生かしてくださっているはたらきを喜び、愚痴ばかり言うことの恥ずかしさを教えてくださるものです。
     如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
     師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし
 皆さま、お念仏申しましょう。
                                    南無阿弥陀仏