(2022年 真宗教団連合「法語カレンダー」10月のことば)
台風の影響で強風や大量の降雨で多くの方々が被災されています。
謹んでお見舞い申し上げます。
毎年のように起こる自然災害、多くの方々が被災され苦しい生活を強いられておられます。更に、世界では、人間同士による対立、差別、戦争等々、本当に様々な苦の因をかかえています。
今日、ふと思いだした言葉があります。それは、吉川英治さんの「我以外皆我師」という言葉です。吉川英治作の小説『宮本武蔵』に出されている言葉だそうですが、私の母も大切にしていた言葉でありました。
自分以外の人でも物でも皆、自分に何かを教えてくれている先生であるという意味ですが、私たち人間が皆、そのように周りの人々のこと物のことを見ることができたならば、対立・争いごとなどは起こらないのではないかと思うのですが、中々そうはいかないものです。
さて、今月の言葉は、以前に大谷大学で教鞭をとられていた伊藤慧明(1930〜2012)先生の著書『真宗の教え 顕現されるべき私 入門浄土真宗』の中の一文です。
「悲しみあるがゆえによろこびあり 煩悩あるがゆえに菩提あり」
お釈迦さまは、私たちの「人生は苦である」それは、人生は自分の思い通りにならないことで悩みを抱え生きていかなければならないとお示しくださいました。その悩みは、人間が煩悩に支配されて生きているからであるとお示しくださったのが親鸞聖人であると思います。
先に書かせて頂きましたように、私たちが受ける多くの苦しみは、人間に、欲望・貪り・怒りなどという煩悩があり、そのような煩悩に支配されて生きているからではないでしょうか。
それが人間の悲しみであります。その悲しみの世界から喜びの世界へ脱出する道が、煩悩世界から悟りの世界(菩提)を求めて生きていくことであるとのお示しではないかと、私には思えるのです。
では、私たちは、煩悩を克服することができるのでしょうか。
親鸞さまは、それは自分の力では無理だと教えられます。自分の中にある無数の煩悩を断ち切ることは生きている限り不可能であることを示され、その煩悩を断ち切り私たち一人ひとりを悟りの仏にすると願い(誓い)をたてられ、はたらき続けてくださっている阿弥陀如来を頼ることで煩悩世界から脱却することができると教えてくださっています。 私たちにさせて頂けることは阿弥陀さまのはたらきを喜んでお念仏することです。
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と称えて、阿弥陀さまに包まれている自分は、煩悩にまみれた自分であっても、また自分が悟りの世界に向かっているとは思えなくても、絶対に捨てることのない阿弥陀さまのはたらきの中にいるのです。
その阿弥陀さまのはたらきは、命あるものすべてにかけられています
お互いが阿弥陀さまに願われている尊い命をいただいているという思いが、平和につながっていくのではないでしょうか。
お念仏、大切にしたいものです。
南無阿弥陀仏