(2023年 真宗教団連合「法語カレンダー」3月のことば)
ロシアのウクライナ侵攻が始まって1年が過ぎました。ニュースを見聞きしますと事態は益々混迷を深めていることには間違いないようで、戦争の終結が見えないようです。どれだけ多くの方々を犠牲にするのでしょうか。
お釈迦様は『法句経(ダンマ・パダ)』に
「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死を恐れる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」
と、説かれています。
不殺生。一つ一つのいのちを大切に大事にするのが仏教です。戦争そのものが愚かで悲しい行為であることは紛れもない事実です。ともかく早く侵攻を止め戦争終結となって欲しいものです。
さて、今月の言葉は、妙好人と称えられ、阿弥陀如来(お念仏)のおはたらきを深く喜ばれその喜びを数多くの詩に綴られました浅原才市(1850~1932)さんの詩の中の言葉です。
さいちこころに、なにがある。
さいちこころに、じごくがあるよ。
ひにち、まいにち、ほのをがもゑる。
めにわめゑねど、
これが正をこを、
ありがたいな。
をやさまが、わしのこころい、
なむあみだぶと、とろけやい、
ごをんうれしや、なむあみだぶつ、
なむあみだぶつ。
下線の部分が今月の言葉です。
才市さんのお心が失われないように、少し私なりの解釈をさせて頂きます。
才市さんはご自身の心に、地獄があると申されています。そして、目には見えないけれど、毎日煩悩の業火が燃え盛っているのが、その証拠であるとうたわれています。
「地獄」ということについて『浄土真宗辞典』には、「自らの罪業の結果として衆生が趣く苦しみのきわまった世界……」と記されています。
そうしますとこの詩の地獄はどうように受けとったらいいのでしょうか。
私(才市)は自分自身の心のなかでは欲望、いかりや腹立ち嫉み妬みの心が燃え盛っているから、自分は必ず地獄に落ちていくべき身であるということを、表しておられるのだと思います。
煩悩の業火は、私を苦しめるものでもあるが他人を傷つけるものでもあります。
そんな私を放っておくことはできないと、大悲の親(阿弥陀如来)様が自分の中へ「南無阿弥陀仏」となって入り込みとけ合ってくださり、自分を支えてくださっている。
そんな阿弥陀さまのおはたらきがとても有り難い、「ご恩うれしや南無阿弥陀仏」
このような自分の姿に気づかせてくださったのが「南無阿弥陀仏」で、こんな自分を護ってくださっているのも「南無阿弥陀仏」であると申されているようです。
阿弥陀さまは、命あるものすべてにはたらきかけておられます。
みんなみんな阿弥陀さまのおはたらきを受けた尊い命を生きておられるのです。お念仏を称え何時も阿弥陀さまが一緒に居てくださることを確認しながら、他者の命を大切にするよう生きていきたいものです。ですから、戦争は絶対にいけません。
お念仏申しましょう。
南無阿弥陀仏