(2023年 真宗教団連合「法語カレンダー」10月のことば)
今月の法語は、京都の大谷大学や上野学園大学で教鞭をとられ、真宗大谷派の報恩寺の住職をされていた坂東性純(1932~2004)先生の言葉です。
報恩寺(ほうおんじ)というお寺について、『浄土真宗辞典』には、
大谷派の寺院。東京都台東区東上野。坂東報恩寺(ばんどうほうおんじ)という。二十四 輩の第一性信(しょうしん)が下総国横曽根(現在の茨城県常総市富岡町)に一寺を建立し たことに始まるという。横曽根に形成された横曽根門徒の中心となった。天正5年(1577) の兵火により、慶長7年(1602)に江戸に移転した。その後、江戸の地を転々とし、文化年 間(1804~1818)、現在の地に移転したという。大谷派が所蔵している『教行信証』はも とこの寺に伝わっていたことから「坂東本」と称される。
と、記されてあります。
ここに出てまいります「二十四輩」とは、親鸞聖人の主要な門弟24人のことで、又、その由緒を伝える寺院のことです。性信様は、横曽根門徒の中心的人物です。法然聖人に入門し、その命により親鸞聖人に師事されたということで、親鸞様の流罪や関東移住に従われ、親鸞様が関東から京都に帰られる時には、関東の後のことを託された方であるといわれ、現存する親鸞様のお手紙は性信様宛のものが最も多いそうです。
性信様宛の親鸞様のお手紙の中には「念仏を謗る人が救われるようにと念仏する」というような内容が書かれているものがあります。
今月の言葉は、念仏は阿弥陀さまの行いであると申されています。念仏は、私のはたらきではなく、阿弥陀さまのはたらきであるということです。
阿弥陀さまは仏説無量寿経に説かれている四十八願中の第十八願(ご本願)にいのちあるものすべてを阿弥陀さまの国(極楽浄土)に生れさせることを誓われておられます。
この第十八願には願文に付して「唯除五逆誹謗正法(ただし、五逆を犯すものと謗法のものとは除かれる)」と説かれています。
親鸞聖人はこの文に対して、『尊号真像銘文』という書物に
「唯除というはただ除くということばなり。五逆のつみびとをきらひ謗法のおもきとがをし らせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれずおうじ ょうすべしとしらせんとなり」
【現代語訳】「唯除というのはただ除くという言葉であり、五逆の罪を犯す人を嫌い、仏法 を謗る罪の重いことを知らせようとしているのである。この二つの罪の重いこと を示して、すべての世界のあらゆるものがみなもれることなく往生できるという ことを知らせようとしているのである」
と示してくださいます。
このように、すべての人々を救うためにはたらいてくださっているのが阿弥陀様です。そしてすべての世界の隅々まで届くようにと声の仏さまとなり、はたらいてくださっています。
つまり、阿弥陀如来が「南無阿弥陀仏」(私にまかせなさい。必ずあなたを救います)という名のりをあげ、私たち一人ひとりに向かってはたらき、私を包み私の中に入り込んで、はたらいてくださっているということです。
今月の言葉は、そのような阿弥陀如来さまのはたらきを示してくださった言葉です。私の口から念仏が出る、それは自分が称えている念仏、自分が称えようと思ってする念仏なのですが私の中にお念仏(名号)が入ってくださっているから称えられるのです。
例えば自分の名前でも、自分の口から名前が出るのは、赤ちゃんの頃から親や周りの人たちが私の名前を呼び続けていてくださったから、自分が自分の名前を認識し自分の口から名のることが出来るのでしょう。
阿弥陀さまが私たち一人に対してずっとずっと以前から私たち一人ひとりのことを思い、はたらき続けてくださっているからお念仏(南無阿弥陀仏)が出るのだということです。
皆さまお念仏申しましょう
南無阿弥陀仏