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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

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浄土真宗とは

今月の法話

2024年6月の法話
  「 いい人 いい雨 いい天気  みんな私中心 」
            (2024年 真宗教団連合「法語カレンダー」6月のことば)
 さて、今月の法語は、福岡県の上毛町にある光林寺の住職されていた大神信章(おおが しんしょう)先生(1949~2013)の言葉です。 
 大神先生は、多くの掲示伝道の言葉を残してくださいました。先生に『学佛大悲心 ほとけのおしえ 詩と言葉』(2013年 探究社刊)という著書があります。著書と申し上げるより、先生の思いのこもった「言葉と詩」を数多く集められたものです。
 その本の中に「事実と真実について」という一文が掲載されています。今その一部をここに紹介させていただきます。

 《……浄土教典が独特の発想より生まれたことを知らねばなりません。つまり今までの仏教のほとんどが、法〈ダルマ〉を理論的に説く哲学型・理論型であったのに対し、物語の中に法のこころをこめて人間の感性に訴え、それによって「法とは何か?」という釋尊以来の課題に答を出してゆこうとしたのが、浄土仏教なのです。もちろん哲学(理)が無いのではなく、物語(情)の中にくるまれているという意味であります。…(中略)…
 浄土教典に記された事柄は、事実ではありません。それではウソなのか?こう問いかける人の顔が見えるようです。が、ウソでもありません。正確に言えば、事実ではないが真実であるということです。さらに正確に言えば、それ(真実)を指し示す指ということです。
 事実とは何でしょうか?ただ現実に行われたこと、というだけです。それは真理・真実とは何の関係もありません。それでは真実とは何か?これこそ釋尊の発見された法則、即ち法〈ダルマ〉のことです。本来表現が不可能なものです。よってもともと表現できぬものを表現したのが浄土教である、という特異性をまず知らねばなりません。……》『学佛大悲心 ほとけのおしえ 詩と言葉』(p23・p24)より抜粋

 お浄土の世界は様々に説かれています。それは、悟りの世界は人間のことばでは言い尽くすことができない世界であることを示していますし、言葉を超えた世界であるということです。(この“世界”という言葉(表現)も間違っているかもしれません)
 私たちの認識の及ばない世界、それが法(真実)であると、お示しくださいました。
 真実ということについて、親鸞聖人は「真というは偽りへつらはぬを真といふ。実というはかならずもののみ(実)となるをいふなり」(註釈版真宗聖典p557)と、お示しくださいます。
 阿弥陀如来は真実です。私たちの持つ言葉では認識できないものであるということです。しかし、それは必ず間違いなく、私の実となってくださる。その実は、私の軸となり私を支えてくださるものであるということです。
 逆に言えば、私は煩悩だらけの存在ということでありましょう。
 そんな私の姿を表してくださった言葉が、今月の言葉であると思います。
 「いい人 いい雨 いい天気  みんな私中心」
 人も雨も天気も、自分にとって都合がいいのか、よくないのか。で、評価するのが私であるとのお示しです。どこまでいっても死ぬまでそんな思いをもっていくのが私であるということでしょう。
 そんな思いがぶつかり合うと争いごとになる可能性があります。最初はわずかなことでも大きく膨れ上がることもあります。気をつけたいものです。自己中心の思いしか持てない私、煩悩成就の私を、捨てることなく、温かいお慈悲のぬくもりで包んでくださるのが、阿弥陀さまです。
 その阿弥陀さまが「南無阿弥陀仏」となって私といつも一緒にいてくださるのです。真実の阿弥陀さまと共にある私たち一人ひとりです。皆さま、お念仏申しましょう。
                                    南無阿弥陀仏