(2024年 真宗教団連合「法語カレンダー」8月のことば)
7月26日からフランスのパリでオリンピックが開催されています。私はスポーツ中継を観るのが好きです。特にオリンピックとなりますと、色々な競技が開催され、それを観ることができますので、とても楽しみです。しかし、どうしても、日本人が勝つこと(金メダルを取ること)やそれに近い成績を残すことを期待して観てしまいます。
「オリンピックは勝つことではなく参加することに意義がある」という有名な言葉があります。本来は、オリンピックに出るために弛まない努力を積み重ねて国や地域の代表となって出て来られた選手一人ひとりの姿を讃えようという精神を表した言葉であると思います。
そして、オリンピックは「平和の祭典」とも言われています。そのため、今回、IOC(国際オリンピック委員会)はロシアとイスラエルに対し「オリンピック休戦」を呼びかけられたようですが、両国ともそれを受け入れることは全く無いようです。人の命を無差別に殺す戦争など絶対にしてはいけません。
安心してスポーツができる環境ということは、人の命を踏みにじらない、お互いがお互いを大事にし合う平和の上にこそ成り立つのではないでしょうか。平和は、私たちが生きる上で一番大切なことではないかと思います。
さて、今月の法語は、真宗大谷派本福寺ご住職で、大谷派教学研究所所長、九州大谷短期大学名誉教授であられた宮城顗(みやぎしずか)(1931~2008)先生の言葉ということです。(出典の書物が手元にありませんのでこのように書かせていただきます)
「私たちの人生の争いは いつも善と善との争いだ」
ここで言われる「善」とは、私が「正しいと考えるもの・こと」ということではないでしょうか。
私たちの日常生活の中では色々な争いごとが起こります。いわゆる「喧嘩」です。その喧嘩は、なぜ起こるかと言えば、私が存在しているからです。相手の自分に対する言動に対して腹を立てる心が起こるからです。なぜ腹が立つのかといえば、相手の言動が間違ったものであると思えるからでしょう。相手も私の言動を間違いであると受け取り、それに対して批評したり批判したりして「喧嘩」ということになる場合が多いように思います。
それは自分の考えが正しい、間違っていないという思いを崩そうとしない、自分が間違っているかもしれないと考えようともしない態度です。お互いが「自分が正しい」と主張し合うと争いが起こるということを示してくださる今月の言葉だと思います。
親鸞さまは『歎異抄』の後序でお示しくださいます。(現代語版より引用)
「何が善であり何が悪であるのか、そのどちらもわたしはまったく知らない。なぜなら、如来がそのおこころで善とお思いになるほどに善を知り尽くしたのであれば、善を知ったといえるであろうし、また如来が悪とお思いになるほどに悪を知り尽くしたのであれば、悪を知ったと言えるからである。しかしながら、わたしどもはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変わる世界であって、すべてはむなしくいつわりで、真実といえるものは何一つない、その中にあって、ただ念仏だけが真実なのである」
本当の善が何であるかもわからないのが私であると示してくださいます。実際のところ自己中心の思いしか持てないのが凡夫であると聞かせて頂く時、そのような凡夫が、「善」の名のもとに、戦争をし、多くのいのちを奪っていくことが如何に愚かなことであるかを教えてくださるのも仏さまのはたらきであります。
縁あるごとに阿弥陀仏のおはたらきを聞かせて頂くことの大切さを教えてくださる今月の言葉と受け止めさせて頂きます。
皆さま、お念仏申しましょう。
南無阿弥陀仏