(2024年 真宗教団連合「法語カレンダー」12月のことば)
今月の法語は、医師で、親鸞聖人のみ教えを喜び、そのみ教え多くの方々に伝えられた米沢英雄(1909~1991年)先生の言葉です。
この言葉は、1967年9月発刊の雑誌『同朋』(真宗大谷派宗務所出版部)に掲載されたもので、「若い世代」という3回にわたって組まれた特集の最終回に、「若き友へ」という講題で先生が語られた文章からのものであるそうです。(『月々のことば』<本願寺出版社刊>より内容転載させて頂きましたので)
さて、12月の言葉について『月々のことば』を読ませて頂きますと、この言葉は、ある若者との対話の中で発せられた言葉であると受け取らせて頂きました。
一流企業に勤めた若者が就職して3年が経ち日常が空虚に感じられる日々を送っていることを米沢先生にお尋ねになったようです。その問いに対する先生の答えの言葉が12月の法語とされているのだということです。
虚しさを覚えることは私たちが生きていく上で結構あることではないでしょうか。
「むなしい」とは、『広辞苑』によりますと
【空しい・虚しい】①中に物がない。からである。②事実がない。あとかたがない。③欲がない。恬淡(てんたん)である。④はかない。かりそめである。⑤無益である。無駄である。⑥この世にいない。死んだ。⑦内容がない。充実していない。
というような意味が書かれてありました。
ここで、③に「恬淡(てんたん)」という示しがありますが、お恥ずかしいことですが私はこの言葉を全く知りませんでした。調べてみますと、「恬淡」とは、「心がやすらかで無欲なこと。あっさりしていて物事に執着しないさま」という意味だそうです。
同じ「虚しい」という言葉を使っていても、その意味内容が『広辞苑』に示される③とそれ以外では、受け取り方相当違ってくるように思われます。
12月の法語で使われている「虚しさ」は「からである」とか「無駄である」「内容がない」というような意味で使われているのだと思います。そうしますと、自分が生きていることに意味が見いだせない。生きていることが無駄に思える。というような気持に包まれてしまうということでありましょう。そんな気持ちの毎日であれば早く死にたくなってしまうのだろうと思います。
12月の言葉では、自分が自分の人生に虚しさを感じることは、本当に充実した世界を強く求める気持ちがあるからだとお示しくださいます。自分が本当の安心の世界を求める心があるから今の自分の生き様が「虚しい」と感じるのだとお示しくださっています。
親鸞さまのご和讃に
本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし
(本願のはたらきに出会ったものは、むなしく迷いの世界にとどまることがない。あらゆる功徳をそなえた名号は宝の海のように満ちわたり、濁った煩悩の水であっても何の分け隔てもない。) 『三帖和讃(現代語版)』より
自分の人生に「虚しさ」を感じることができることのは、実は素晴らしいこと大切なことだと教えてくださる12月の言葉です。それは自身が本当の安心の世界(真実の世界)を求めているからです。
上のご和讃はむなしさを持って生きている私のことをそのまま包み込んでくださる阿弥陀さまのはたらきを示してくださったものです。自分では虚しく感じる人生(いのち)であってもその命をそのまま包み込み本当の安心を与えるためにはたらき続けてくださっている阿弥陀さま(南無阿弥陀仏)なのです。
私たちは、お念仏申し、その阿弥陀さまのおはたらきを忘れないようにしたいものです。
南無阿弥陀仏