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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

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浄土真宗とは

今月の法話

2025年1月の法話
「宗教とは生死を貫くまこと一つの教え」
「いつでもどこでも誰でもたすける行 それは念仏」
          (2025年 真宗教団連合「法語カレンダー」表紙と1月のことば)
 あけましておめでとうございます。
 新年を迎えてからすでに6日が過ぎようとしております。昨年末にホームページの更新をさせて頂きたかったのですが、諸般の事情により現在に至っておりますことご理解賜りますようお願い申し上げます。

 さて、今年も真宗教団連合から出されていますカレンダーの「毎月の法語」をご縁に月々の法話を書かせて頂きたいと思います。

 法語カレンダーの裏面には説明文があります。そこには
 【2025年のカレンダーのテーマは、昨年に引き続き「親鸞聖人に遇う」です。親鸞聖人のみ教えにふれた先達のお言葉を通して、あらためて宗祖に出遇っていただきたいと願い13点の法語を選定いたしました。】
と、記されています。
 尊い先達のお言葉を頂戴し、親鸞さまのみ心に少しでも触れさせていただきたいと思うことです。 

 今年の法語カレンダーの表紙の言葉は、富山県氷見市の西光寺の住職で、龍谷大学や相愛大学などの本願寺派関係学校で教鞭を執られていた中西智海先生(1934~2012年)のお言葉です。
 
 法語カレンダー表紙の言葉は「宗教とは生死を貫くまこと一つの教え」です。
 私なりに解釈しますと、この言葉は、「宗教」とは、死を超えて、私に本当の安心を与える真実(まこと)の教えである、ということではないかと思います。
 私たちは基本的に「死にたくない」という思いで生きているのではないでしょうか。更に言いますと、「死んだらしまい」「死んだらあかん」という思いから解き放たれることは、中々無いように思われます。そのような私どもに「この世に生まれ死んでいく私のいのちに向き合って、本当の安心を与えるはたらきがある」ことを教えてくださるのものを「宗教」と名づけるのだと、仰っているようのではないかと思います。

 続いて、カレンダー1月の言葉は「いつでもどこでも誰でもたすける行それは念仏」です。
真宗大谷派(東本願寺)の大谷専修学院院長をなさっていた竹中智秀先生(1932~2006年)の言葉です。
 親鸞さまは、お正信偈に以下のように阿弥陀さま(南無阿弥陀仏)のおはたらきをお讃えになります。
    極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 
    煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我
《極重の悪人はただ仏を称すべし、われまたかの摂取のなかにあれども 煩悩、眼を障えて見たてまつらずいえども、大悲、倦きことなくしてつねにわれを照らしたまうといえり》
                               (『註釈版聖典』より)
【きわめて罪の重い悪人はただ念仏すべきである。わたしもまた阿弥陀仏の光明の中に摂め取られているけれども、煩悩がわたしの眼をさえぎって、見たてまつることができない。しかしながら、阿弥陀仏の大いなる慈悲の光明は、そのようなわたしを見捨てることなく常に照らしていてくださる】                  (『教行信証(現代語版)』より)

 阿弥陀さまは「南無阿弥陀仏」という声の仏さまとなって、私たち一人ひとりに休むことなしにはたらき続けてくださっています。ですから、私が「南無阿弥陀仏」と称えることができるようにならせて頂いたのです。
 ところが、私たちの方は、阿弥陀さまを見たてまつることなく、煩悩に振り回されてばかりです。だからこそ、少しも休むことなくはたらき続けてくださる阿弥陀さまであります。
 親鸞さまは阿弥陀さまのおはたらきをお示しくださいました。そして何故、阿弥陀さまが休むことなくはたらき続けなければならないかということもお教えくださいました。
 親鸞さまのみ教えを大切にお聴聞させて頂きたいものです。
                                    南無阿弥陀仏